Story 14

夢の世界

天国のように平和なゾラ

アフマドは夢を見た。惑星ゾラの夢。とても平和な世界。

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どこまでも高い青空。白く輝く太陽。鳥たちは空高く羽ばたき、のどかに歌っている。降り注ぐおだやかな陽光が、あたり一面に満ちあふれていた。
ピンク、黄、赤、白、青...パステルカラーの多様な花が咲き乱れた、大草原。地平線まで全ての方向へ、柔らかくうねりながら広がっている。所どころに丸く盛り上がっている、濃い緑色の森。まばゆい草原の中で、心地よいアクセントになっていた。

花と緑の香りが、やわらかい風に乗ってやって来た。体温と同じ気温。風は、半裸のアフマドの皮膚をやさしく愛撫した。
アフマドは息を深く吸い込むと、温かい空気をいつくしむように、そのまま肺にとどめた。それから、ゆっくりと息を吐いた。空気がのどの奥を通過するとき、かすかな音を立てた。それは、まるでため息のように聞こえた。地獄のような、バクダッドの現実を嘆くため息だ。

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敵を探し出して殺す。敵が自分を探し出せば、自分が殺される。親しい者も、いつ敵の側へ寝返るか分からない。バクダッドでは、一時も止まることのない、無慈悲な戦いが際限なく続いていた。
昼は勿論、夜も十分に眠ることはできなかった。横に置いた銃の引き金を、いつでも引けるように、反覚醒の状態でしか眠れない。過酷さが日常化したバクダッドのゲリラ闘争。生き地獄のそこには、疲労と絶望しかなかった。

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アフマドは、平和な夢の中で、極限状況に置かれたバクダッドでの生活を、完全に忘れた。

地獄のように刺激的なバクダッド

トーウエルは夢を見た。地球上で、最も過酷な闘争が繰り広げられている、バクダッドの夢。

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そこは、住民と死が隣り合わせに住む世界だ。バクダッドで最も危険なサダムシティの街角。瓦礫が転がっている薄汚れた通りを歩けば、閉じられたカーテンの向こう側に、誰かの視線を感じる。自分のからだの動きの一つひとつが、監視されている。
大部分の住民は貧しいシーア派。バクダッド市民の中でも、最も激しい生存競争にさらされている人たちだ。残酷な生存競争の中では、見ず知らずの者は全て敵。誰がいつ、トーウエルを狙撃してくるか分からない。
薄暗い家の中から流れ出る空気。かびと硝煙が混じりあった臭いがする。料理の匂いはしない。

トーウエルの副腎から分泌されるアドレナリン。その量が急に増えた。アドレナリンはからだ中にあふれた。獲物に跳びかかる前のライオンのように、筋肉が盛り上がった。銃を握る手が汗ばんでいる。全身の知覚が、敵を求めて周囲へ発散した。
トーウエルは興奮し、身震いした。とても心地よい緊張。こんな緊張を、今までに感じたことはなかった。

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何もすることがなく、毎日毎日が死ぬほど退屈な、惑星ゾラの生活。鳥の歌も野の花の輝きも、ただ退屈を増幅させる飾りにすぎない。鳥と花しかない生活の中で、自分が生きる意味を見出すことはできない。
死ねば、退屈な現実からは逃げられる。退屈から逃げられるならば、死んだほうがいい。死ぬよりも悪い惑星ゾラの生活。

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トーウエルは、今夢の中で、そんなゾラの生活を完全に忘れた。この危険極まりない世界には、時は今しかない。

異次元世界への旅

夢は異次元世界への旅だ。寝ている間に、意識が次元を越えて跳躍し、他の宇宙に現われる。
10次元世界の中に、私たちが認識できる3次元宇宙は、無数に存在する。その中には、、地球とそっくりな惑星も数多く存在する。
夢の中で跳躍する意識は、そんな他の地球へ跳ぶことができる。他の地球の他の地球人として、そこに出現する。異世界の生活を体験できるのだ。

死が同居する過酷な現実

アフマドは暗い部屋の中で目覚めた。夢ではない現実がここにある。傷だらけの分厚い壁に囲まれた、正方形の小さな空間。
文字盤のカバーがはずれた腕時計を見ると、もう9時だ。だが、厚いカーテンを締め切っているので、外の光は、ほんの少ししか入って来ない。

寝ながら抱いていた銃を、右手に取った。気だるいからだを持ち上げた。窓のカーテンに近づいて、そっとカーテンを引いた。最上階の3階。その窓から、薄汚れた通り全体が見渡せる。
黒いチャドルを頭からかぶって、揺れるように歩く女。顔全体を覆う伸びきったひげの底で、眼をぎらつかせている男。ただ生き延びるために、チャンスをつかもうと、彷徨する飢えた人間たち。
いつものありふれた光景だ。アフマドを攻撃する意図を持つ人物は、いないようだ。
通りの向こう側の壁がひび割れた建物。そこの窓も、全てを注意深くながめ回した。部屋の薄暗い闇の中に怪しい気配はない。外をながめる視線も感じない。

次に室内を見回した。小さい部屋だが、時間をかけて、隅から隅まで注意深く観察した。ドアーと壁の間にはさんだ細い糸は、そのままだった。寝ている間に、誰かが部屋に入った形跡はない。
念のために、バス、トイレ、クローゼットの中も調べた。誰も隠れていない。
「オーケー」と、アフマドは無意識につぶやいた。

こんなチェックは、一日一日を生き延びるために、どうしても必要なことだ。それ以外のことは、周囲の安全を確認してからでなければ、始められない。

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アフマドは朝食の準備を始めた。朝食といっても、とても簡単だ。固形燃料で、貯めてあった水を沸かした。棚の箱から、固くなった黒パンを取り出した。
スンニ派の戦闘員として、仲間内で少しは名前を知られたアフマド。どこから流れて来るのか分からない金が、戦闘チームのボスから時折手渡された。命の代償としては余りにも少ないが、額に不満はなかった。少なくとも、生き延びるための食物は、買うことができた。
だが、買い物で外を出歩く頻度は少なくし、時間は短くしたほうがいい。金よりも安全への配慮から、アフマドは食事を切り詰めていた。

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2週間前に、シーア派のローカルコマンダーを、撃ち殺したばかりだ。その時、アフマドは顔をスカーフで覆っていた。それでも安心はできない。情報はどこをどう通って、敵に流れるか分からない。小数の味方しか知らない情報でも、敵に筒抜けになっていることは、何度も経験した。
敵は間違いなく、暗殺者、即ちアフマドを、血まなこになって探している。この仮の棲家は、いつ発見されてもおかしくはない。彼にとって、今はとても危険な時期だ。

固い黒パンを、熱い紅茶と一緒に胃へ流し込んだ。食事は全く味気なかった。ただ生き延びるだけのために、食物をからだの中へ押し込んでいる。

「殺らなければ、殺られる」
宇宙を創った神の言葉を唱えるように、アフマドは重々しく言った。食事時の独り言としては不適当だ。だがこれが、バクダッドの極限状況下での闘い方。単純な真理だ。

次の大仕事は、いつ下命されるか分からない。短い朝食の時間中にも、メッセンジャーの男の子が、ドアーを叩くかもしれない。両親を敵に殺された男の子。小さい頃のアフマドにそっくりな男の子。怖いもの知らずで、将来はゲリラのヒーローになることを夢見ている。大人の戦闘に、メッセンジャーとして関わることが、大きな誇りになっている。大人とは違って、決して裏切らない小さい味方だ。

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アフマドは、次の仕事の準備を始めた。敵を殺すだけではなく、自分が生き延びるためにも、必要な準備だ。
古いが、よく磨きこまれたAK-47自動小銃。15ミリ口径リボルバー。それらの手入れを、ためつすがめつ念入りにした。そして、5個の手りゅう弾もチェックした。
それから、体力維持のために、腕立て伏せを100回行った。ヨガもどきの運動もした。少し汗ばんだ。

あとは、やることは何もない。ベッドに寝転がって、しみのついた天井をながめた。だが、リラックスはしていない。耳は、街の雑音と、彼が住んでいるアパートの中の生活音へ、注意深く向けられていた。

誰かが、廊下をアフマドの部屋のほうへ歩いて来る。彼は、音もなくさっと起き上がった。ドアーに近づいて、ドアーの小さな穴から廊下を見た。同じ階に住んでいる老婆が、朝の買い物から戻って来たのだ。薄闇の中で、生活に疲れた老婆の表情を、読み取ることはできなかった。

アフマドはまたベッドに寝転んだ。下腹がきりりと痛んだ。激しい闘いに慣れた男にとっても、迫り来る危険を、ただじっと待ち続けるのは、大変なストレスになる。

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彼は意識的に、昨夜見た天国のような夢のことを思った。

退屈極まりない平穏な現実

トーウエルは目覚めた。いつものように、雲一つないさわやかな青空。陽はもう高い。

木陰で寝ていたトーウエルには、暑くもなく寒くもない。微風が吹き渡り、花の香りを運んで来て、とても心地よい。皮膚感覚だけを問題にすれば、余りにも心地よすぎる。毎日毎日、これ以上ないほど快適な日が続くのだ。
生きるための心配事は何もない。心配事を見つけようと、いくら努力をしても、何も思い浮かばないのだ。

空腹になれば、森には何でも食べ物がある。種類は多く、年間を通して、毎日違う食べ物を手に入れることができる。しかも料理の必要はない。木や草になった状態で、もう食べ頃。
甘いジク、ちょっと酸っぱいドウ、さわやかなパッシン、口の中で溶けるナナ...果物を全部思い出そうとすると、1日時間があっても足りない。そしてたんぱく質の多い、サミ、チンキ、イコラなどの野菜。やはり生で食べられる。

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頭上の木の葉が、風でかすかに鳴るのを聞きながら、トーウエルは考えた。
「今日一日、何をしようか」

20分くらい歩いた所で、いつも夜を過ごしている、気のいいロッテルを訪ねようか。それとも、30分歩けば会える、タミーとテムロンを訪問しようか。彼らは、トーウエルをいつも大歓迎してくれる。
思いつく限りの知人の顔を、思い浮かべた。皆、善良で社交的な人たちばかりだ。トーウエルが行けば、いつも大歓迎をしてくれる。1日でも2日でも、横に寝転んだまま、たわいのない、のんびりした雑談の相手をしてくれる。
時々、旅行をしている見ず知らずの人に、出会うことがある。そんな人とも、すぐに100年来の知己のように、打ちとけることができる。目的のない旅は急がないので、何日でも横になったまま、互いの思い出話を語り合う。

トーウエルは、身じろぎもせずに空をながめた。鳥の歌を聞き、そよ風を肌で感じ、咲き乱れる花から漂ってくる香りを、鼻で感じた。それらはいつも全く同じ。変わっているものは何もない。

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そのまま1時間も寝転んでいただろうか。2時間だったかもしれない。周囲の自然には変化がない。太陽が少し動いただけだ。

皮膚感覚では、とても快適なままだ。この調子で、また昼時になり夕方になり、そして夜が来る。全てが、あらかじめ決められたように、きちんきちんと毎日全く同じ。トーウエルの記憶の中にある、変化が微塵もない過去。これから死ぬまで間違いなく続く、全く変化のない未来。

「フアーア」
トーウエルは大きなあくびをした。眠いわけではない。生きているのか死んでいるのか、分からないような日々の繰り返しを思って、ついあくびが出てしまったのだ。心は、皮膚感覚とは違って、無味乾燥な毎日の生活に悲鳴を上げていた。

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昨夜の夢の心地よい緊張感。それを思い出すと、退屈をいくらか忘れることができた。1分1分を生きているという実感のあった、夢だ。現実世界では、手に入れることのできない快感を思い出しながら、トーウエルは夢の記憶へ没頭していった。

実体化した夢の世界

9日経っても10日経っても、アフマドに仕事の話は来なかった。死が隣に立っているのを感じるだけの、ストレスの多い毎日が過ぎていった。

アフマドは、地獄のような現実から逃避するために、寝ても覚めても、天国のような夢の記憶を追い続けた。
いつも薄暗い小さな部屋。その部屋の壁の限界を越えて、夢の世界が広がっている。毎日毎日が、夢の中にいるのか、起きてバクダッドの街中にいるのか、次第に分からなくなってきた。現実が後退するにつれて、夢がとても現実的になった。

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トーウエルは、誰かを訪ずれることは止めた。訪れても、今までと同じ話を繰り返すだけだ。歩く努力をして訪れる価値はない。

その代わりに、寝ても覚めても、あの心地よい緊張感が漂う夢の世界を、思い続けた。いつも代わり映えのしない、ゾラの陽光、青空、微風、鳥の声、花の香りは、意識の中で次第に陰が薄くなった。夢の世界が周辺に広がる。夢が、とても現実的に感じられるようになった。

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ある夜、とても現実的な夢の中にある二つの意識が、次元を越えて共振した。共振は完璧になり、最後には合体した。そして、普通ではあり得ないことが起こった。共振するエネルギーの極大化。二人の意識が、実体である肉体を、相互の世界へ引き寄せた。
アフマドとトーウエルは、次元転移をしてしまった。アフマドが惑星ゾラに住み、トーウエルがバクダッドに住む。

夢の世界

そして月日が流れた。月日は全てを変える。

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アフマドの天国のようなゾラの生活。それは日常的になった。朝に起きて夜に寝る。皮膚感覚では快適だが、何の刺激もない単調な毎日。過去に繰り返され、未来にも際限なく繰り返される、あらかじめ決められたような生活。退屈が極まって、毎日やる主な活動は、あくびをすることだけになってしまった。

トーウエルの、刺激に満ちあふれたバクダッドでの生活。寝ても覚めても、殺すか殺されるかの緊張から解放はされない。何か物音がするたびに、冷や汗が身体中から吹き出た。自分の呼吸音にさえも、脅かされるようになった。トーウエルは疲労困憊の極に達した。

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ある夜、アフマドは夢を見た。昔のバクダッドでの生活の夢だ。

バクダッドの街角。死の危険に満ちあふれた世界。誰かの視線を、閉じられたカーテンの向こう側に感じる。自分のからだの動きの一つひとつが、監視されている。誰かが、いつ狙撃してくるか分からない。空気の中に、硝煙の臭いを感じる。
何もすることがなく、毎日毎日が死ぬほど退屈な惑星ゾラの生活。鳥の歌も野の花の香りも、ただ退屈を増幅させる飾りに過ぎない。バクダッドはその反対の極にある。アフマドは興奮に震えた。とても心地よい緊張。
バクダッド。ここだ、本当に生きているという実感を持てるのは。

それから、アフマドは、毎日毎日夢の世界のことを思い続けた。そして、夢が次第に現実味を帯びてきた。

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トーウエルも夢を見た。昔のゾラの生活の夢。
とても平和な世界。惑星ゾラ。穏やかな陽光が辺りに満ちあふれ、空はどこまでも高い。鳥たちがのどやかに歌っている。いろいろな花が咲き乱れた草原。とてもいい香りが風に乗ってやって来て、トーウエルのからだを愛撫する。

トーウエルは、夢の中で心底からリラックスした。惑星ゾラ。そう、ここだ、トーウエルが、本当に生きている喜びを感じられるところは。

そして、トーウエルは寝ても覚めても、夢の世界のことを思い続けた。ゾラの夢は次第に現実味を帯びてきた。

小説 2010/4/6

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