Story 6

無我

ドイツ・エリートの家系

ロベルトは、ドイツ人の基準では中肉中背だった。

それにもかかわらず、やや緑色がかった濃茶色の背広を着、赤いネクタイをつけたロベルトの前に立つと、誰もが、巨大な岩に向き合っているような威圧感をおぼえた。のしかかるような存在感は、圧倒的だった。

肩幅が広く胸が分厚いために、背広とシャツが胸の部分で盛り上がっている。背広を着ていても、からだの強靭な筋肉を隠しようがなかった。

その若い男の顔は、皮膚の下の緊張した筋肉を反映して、一点のゆるみもなく張り切っていた。顔の中心部に、緑色の筋が入った濃青色の瞳。

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ロベルトは、共産主義下のベルリンで産まれた。

父は、伝統的な北部ドイツの上流階級の家系に属した。

かれは有名な大学教授で、哲学を教えていた。だが、国家権力を批判する論文を発表してからは、職の安全のみならず、生命の安全までもがおびやかされるようになった。

父は、家族を連れて東ドイツを脱出した。チェコスロバキアとハンガリーを経由して、オーストリアへ抜け出る、一ヶ月間の危険な逃避行だった。

西ドイツに着いてからは、高名な哲学者ということで、フランクフルトにある大学で職を得ることができた。そこでも教授になった。

天才ロベルト

ロベルトは、父によってエリートとして育てられた。自分の産まれ故郷を捨てた父は、懐古趣味と言ってもいい、伝統的なエリート教育を、息子にさずけた。自己と社会の存在を深く洞察し、ゆるぎのない信念のもとに、合理的に行動をするエリート。

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成長するにしたがって、そんなロベルトを、家族の歴史を知っている誰もが、エリートとして認めた。

ロベルトにとって、自分が、誰にでも尊敬されるエリートであることは、当たり前のことだった。毎日、太陽が東から出て西に沈むのと同じように、自然なことだった。ロベルトは、余りにも当たり前すぎて、自分がエリートであることを、特に意識することもなかった。

小学校から大学まで、学校の成績はいつもトップ・クラスだった。哲学、文学、経済学、音楽のような文系の科目は勿論、生物学、化学、物理学のような理系の科目まで、トップの成績をおさめた。サッカー、テニス、ボブスレーなどのスポーツまで、才能を発揮し、学校を代表する選手になった。

何をやってもうまくいってしまうので、挫折の経験がなかった。それどころか、苦労をしたと感じることもなかったのだ。

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ロベルトが大学に入るとき、一人前の男を見る目で父が言った。

「きみは透徹した思考力で、自分を見極め社会を見極めることが、できるようになった。きみにとって、不確実なことはもはや何もない。論理と合理を追求して、どのような不可能も可能にできる。きみに大きな期待をしている」。

父の説教らしい言葉は、これが最後だった。あとは、自分に絶大な信頼を置く、父の視線を感じるだけだった。

誰もが従う超大企業の幹部候補生

そんなロベルトが、アカデミックの世界には入らず、フランクフルトに本社のある、社員数17万人の多国籍企業に入った。

これは、ゲルマン魂の闘争心がなせるわざだった。世界中を駆け回って、海千山千のつわもの達と、厳しいビジネスの競争社会で、切った貼ったをすること。この刺激的な日常に魅力を感じたのだ。

エリート・ファミリーの出身で、大学をトップで卒業したロベルトは、会社では幹部候補生として扱われた。ロベルト自身も、口には出さなかったものの、将来は、超大企業の社長になるのは当然と、思っていた。

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透徹した思索によって、人類の歴史を大きく進歩させたドイツ人哲学者達。ドイツの合理精神を身につけたロベルトにとって、ビジネスの世界で他の人達をリードするのは、容易だった。

家にも仕事を持ち込んで、ロベルトは週末にも勉強をした。天才が本気になって勉強をすれば、無敵になる。誰と議論をしても、論理性と知識の豊富さでは負けなかった。

人間の心理の弱点もよく知っていた。相手を徹底的には追いつめないが、弱点を押さえて、自分が意図する方向へ相手を誘導した。

世界各国に散らばった、子会社の一般社員の顔と名前を覚えることにも、熱心だった。いろいろな人種が混じっていたので、顔も名前も多彩だった。しかし、ドイツ国内では聞きなれない名前も、一度聞けば忘れることはなかった。

ドイツ本社の、将来を嘱望されている若手の幹部が、一度会っただけで、自分をいつまでも覚えていてくれる。このことを知った子会社の社員は、それだけでロベルトの熱狂的な支持者になった。

ロベルトは、若くして、各国の子会社の社長として、世界中へ派遣された。これは、本社の経営幹部になるために、必要な訓練だった。

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ロベルトを敵に回して戦っても、勝つのは難しい。

ドイツ人を低く見て、何かというと言うことを聞かなくなる、プライドの高いアメリカ人。そんなアメリカ人社員も、ロベルトは味方にしなければ、とても危険なことを知った。いつも「ノン」と言う理屈っぽいフランス人も、ロベルトの論理と知識には負けた。プライドが高いばかりではなく、ドイツ人に対して、強烈な競争心を持っているイギリス人も、ロベルトによく思われようと心がけた。

敵に回せば、自分達の会社の存在さえも危うくなることを、知ったのだ。

外国人との間に、いつも距離を置いている日本人でさえ、ロベルトが世界のどこにいても、チャンスを作っては足しげく通うようになった。

身内の裏切り

生身の人間は、からだをひとつしか持てない。同時に、至るところに現れることはできない。ロベルトは、世界中を飛び回っていたために、本国で席を暖める時間をほとんど持てなかった。

これが、超人ロベルトの弱点になった。敵は、最も身近な身内にいた。

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東西ドイツの統合の前に、今は存在しなくなった東ドイツの会社で、マーケテイングの仕事をしていた男がいた。この男マイケルは、統合後のゴタゴタのときに、どういうわけか、前の東ドイツの会社のときよりも、ずっと高い地位を、ロベルトの会社で得た。

東西冷戦時代のマーケティングの仕事は、世をいつわるための表の職業。本当の仕事は、深い闇の中を動き回って、東西の権力者達を取り持つことだった、という噂があった。この間に、西ドイツの権力のトップとも、親密な関係を築いたと、言われた。

この種の話については、真実がどこにあるのかは、関係者以外が知ることはない。

マイケルは、東ドイツの貧農の家に生まれたことになっていた。ぶこつな見かけは、その説明を真実と思わせた。たとえ真実ではないとしても、出身をたどっても、どこかで家系の線が途切れてしまう。そんな出身だった。

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この雑草のようにタフでしたたかな男と、ロベルトはしばしば一緒に仕事をした。

マイケルが目を輝かせながら、ロベルトに言ったことがある。

「あなたと一緒に仕事ができることを、誇りにしています」。

そんな言葉は社交辞令にすぎないことを、ロベルトはよく理解していた。特に問題にするようなことでもなかった。ロベルトが、マイケルを気にかけることはなかった。

ところが、マイケルは、超エリートのロベルトに、強い反感を持っていたのだ。

階層意識がまだ残っているドイツで、社会の底辺からしたたかにのし上がったマイケル。かれの人生は、本音を隠して権力者に取り入ることで、成り立っていた。

ロベルトの周囲には少ないこんな男の本質を、ロベルトは見抜くことができなかった。

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若いロベルトに、席を開け渡すことになるのを恐れている、重役がいた。艱難辛苦の末に、やっと超大企業の役職に就いた男。その点では、マイケルにやや似ていた。この重役にとって、やっと獲得した重役の椅子を失うことは、全人生を失うことを意味した。

マイケルは、ロベルトの細かい失点をいくつも、この重役に教えた。ただし、密告者が誰か分かるような情報は、注意深く隠した。

かれが密告した程度の失点は、切った貼ったのビジネスをやっている企業社会では、普通ならば無視される。闇に葬り去られる。

ところが、この重役は、競争相手を蹴落とすための絶好の機会と、とらえた。ロベルトの失点を、追い落としのために使う決意を固めた。

重役は、ただちに、ロベルトを秘密会議で査問にかけた。揚げ足取りに近い追求だったが、公の議論になっては逃げ場がない。

原則を重んじるドイツ人。他の重役達は、建前上から、ロベルトを無罪にすることはできなかった。原則を反故にしてまでロベルトを守り、自らマイナス点をかせぐ重役はいなかったのだ。

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ロベルトにとってショックだったのは、自分の失点が、公の会議で討議されたことだった。今までの人生において、公の場では、他の人からほめられこそすれ、非難されることはなかった。この心理的なショックは大きかった。

失点は、親密な社員しか知らないはずの小さなものだった。親しくしていた仲間が誰か、自分を裏切ったのだ。エリートとして素直に育ったので、この裏切りを知ったこともショックになった。

冷たい視線で迎えた日本人

ロベルトは、日本の子会社のただの重役として左遷された。日本は、以前、社長として来ていた国だった。

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既知の日本人達は、歓迎会で穏やかにほほえみながら言った。

「あなたが再び日本に来てくれ、私達と一緒に仕事をしてくれることを知ったとき、日本の全社員がとても喜びました」。

日本人社員は、ロベルトを明らかに落伍者と見なしていた。

超大企業の落伍者が、再び階段を昇りつめることは不可能だ。虎視眈々と上を狙っている、優秀で抜け目のない社員はとても多い。日本人社員は、誰もが、ドイツ本社内の熾烈な競争をよく知っていた。

ロベルトは、もはや日本の子会社にとっては、有益なドイツ人ではない。落伍者と親密になれば、ドイツ本社からにらまれる可能性が高い。

かつてタイコ持ちをしていた日本人社員の態度が、急によそよそしくなった。このことは、ロベルトにさらにショックを与えた。

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それまで順調に回転していた人生の歯車が、突然逆回転をし始めた。しかも逆回転は、より速くかつ強力になった。

産まれて初めての挫折。挫折だらけの人生を送っているひとが持っている、挫折に対する免疫は全く持っていなかった。人生で一度もつまずいたことのない超エリートは、耐え難い苦悩を持つことになった。

日本の日々は、憂鬱そのものだった。

幻想の京都

仕事に身が入らなくなった。東京から大阪支社への出張の帰りに、京都へ立ち寄ったのも、そんな気分のためだった。仕事から逃げられるならば、なんでもよかった。

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以前、日本の子会社の社長だったときに、提携先の社長から、京都で茶の湯に招待された。そのときは、「神聖な雰囲気の中で、日本の伝統を体験することができました。これは、私の今からの人生に大きなインパクトを与えるものと、確信をしています」と、社交辞令で言った。

茶の湯の印象を本音で言えば、退屈な儀式でまずい緑茶を飲まされた、というものでしかなかった。

しかし、今回は、なぜか自然に足が茶室へ向いた。記憶のどこかが、ロベルトを茶室へ行くように仕向けたのだ。

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竹林を吹き渡る風の音。近い竹も遠い竹も風で鳴っている。一枚一枚の竹の葉がこすれあう音は小さいが、竹林全体が微風で揺れれば、心を揺さぶる大きな音になる。

その単調な音は、心の表面には催眠作用を与える。だが、心の奥底には、逆に、全ての事象に対する感受性を高める作用がある。

ロベルトは、以前に受けた茶道の説明を思い出した。

茶道は、千利休によって16世紀に完成された。小さな茶室へは、床のレベルに開いた、ひと一人がやっと通れる小さな入り口から入る。この入り口で、誰もが腰をかがめなければならず、全てのひとが、全く対等になる。身分の違いも貧富の差も、ここで消える。500年前に、このような平等を唱えるのは危険だった。

千利休は、豊臣秀吉によって殺された。

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湯が煮える単調な音。時間が、湯の煮える音と共に進む。日常世界の時間とは異なる、別世界の時間だ。

薄暗い小さな部屋で、お茶が注がれるのを待つ間、ロベルトは、茶の湯の説明を断片的に思い出していた。それは茶の湯の説明というよりも、ロベルトの心境そのものになっていた。

茶道では、きちんと決められた型に沿って、無意識にからだを動かす。これにより、全ての日常的な思考から解放される。無我の境地に至り、自分が無になる。生が永遠の時間と合体する。

これは、ヨーロッパ、特にドイツの合理精神からは、全く理解できない思考だ。合理精神は、何か意味のある理屈に合ったことを、常に考えているように、求めている。精神は実体の裏づけの上に存在している。

しかし、そのときのロベルトは、自分がヨーロッパの合理性に支配された人間であることを、完全に忘れていた。仕事も今までの人生も、深い忘却の闇の中へ消えた。

どこまでも茶の湯に没頭していった。意識が広大な無と一体化していく。かれは、我を忘れた。我が無になっていく。

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外の風の音が、部屋の静寂をさらに強めた。

休暇のたびに、南の国の海岸で日焼けをしていたロベルトは、ドイツ人とはいえ、浅黒い肌を持っていた。その肌が、本来の北方ヨーロッパ人の白い肌になっていった。

その肌が、白さを通り越して次第に透明になっていった。

ロベルトは、その小さな部屋から音もなく消えた。着ていた服が、乾いたやわらかい音をたてて、たたみの上に崩れ落ちた。

小説 2008/11/13

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