Story 18

終りなき夏

今までのあらすじ
最終核戦争によって、北半球の人間は死に絶えた。核爆発による南半球の被害は、比較的小さかった。だが、高濃度の放射性物質が北から南へ拡散した。オーストラリア大陸にわずかに生き残った人間たちは、生き残りのために、絶望的な戦いを繰り広げていた。
ロッドの妻のデラは、理由も告げずに、メルボルンの近くに建設された、人工冬眠施設に入った。絶望の未来で目覚めることを望んだのだ。取り残されたロッドは、デラの思い出を辿りながら、枯れ上がった原生林をさ迷い歩いた。その途中で、ヘリコプターで飛来した残虐な狩猟警察官たちと、撃ち合った。
二人が休暇を過ごした山小屋で、ロッドはデラが書いた手紙を見つけた。彼女が去った理由は、その手紙に書かれていた。
狩猟警察官が追いついてきて、銃撃戦になった。ロッドはこの闘いに破れた。しかし、シェイラという見知らぬ女が彼の命を救った。彼女は狩猟警察官に対して、激しい憎悪を示した。
シェイラの底の知れない憎悪と絶望を知ったロッドは、狩猟警察の基地を攻撃することに同意した。ロッドとシェイラは、奪った狩猟警察の攻撃ヘリコプターで、深い山の中に潜んでいる基地を奇襲することにした。
第4章 吹き渡る風

深い森の中のその空き地から、1台のヘリコプターが、今まさに離陸しつつあった。上昇を続ける敵のヘリコプターが、小さな円弧を描いた。機首が二人のヘリコプターに向けられた。黒い機体の両側で、青白い閃光がひらめいた。

二人は死の中へ跳び込みつつあった。それにもかかわらず、ロッドは、躊躇することもなく、同じ速度で、まっすぐに自分たちのヘリコプターを飛ばし続けた。彼は死を恐れていなかったのだ。それが二人の命を救った。

狩猟警察のヘリコプターは、下方から、二人のヘリコプターの弱い左腹側をねらえる位置にあった。このような位置関係にあると、ねらわれたヘリコプターの操縦士は、ヘリコプターの高度を下げ、機体を右へ旋回させることを、百戦錬磨の狩猟警察官は知っていた。ただし、そうするのはまだ生きのびたい人間だけだ。ロッドが死を全く恐れていないことを、狩猟警察官は知らなかった。

機体の弱い腹側に銃弾が当たったが、機体の急所をわずかにそれた。激しい衝撃音がヘリコプターを揺さぶったにも関わらず、二人のヘリコプターは、そのまま正常に飛行を続けた。

狩猟警察のヘリコプターが、右側の空中に現れた。飛行高度がほぼ同じになった。

ロッドは、シェイラがハンド・ミサイルを握ったのに気づいた。白い炎が彼女の手の先から吹き出し、開けた窓からミサイルが空中へ滑り出た。ミサイルは、柔らかい豆腐に突き刺さる鋭いナイフのように、敵のヘリコプターに突き入った。

濃い緑色の木々を背景に、火の球が空中に湧き出た。その火の球は、スロー・モーションの映画のように、森の中へゆっくりと跳び込んでいった。二人のヘリコプターは火の球の上を飛び越し、旋回した。

* * * * * * * *

地上では、警官たちが、他の3台のヘリコプターに乗り込んでいた。ロッドとシェイラは、警官たちの真上に来た。シェイラは、ナパーム爆弾を投下するためのボタンを、矢つぎ早やに押した。黒い卵のように見える爆弾がいくつも、男たちの上へ次々に落ちていった。巨大な紅い炎の花が、地上にいくつも咲いた。ロッドは、炎が産み出す熱をからだ全体に感じた。

「左側に戦車だ」と、ロッドが叫んだ。

木々の下に戦車が隠れていた。丸い車体から長く突き出た戦車砲の先が、二人のヘリコプターに向けられていた。砲頭から濃い煙が吹き出た。ヘリコプターのすぐ横を砲弾が通過した。機体が激しく揺すぶられた。シェイラは戦車をめがけて機関銃を撃ったが、銃弾は鋼鉄の怪物には無力だった。戦車の表面で、弾丸がはじき飛ばされるのが見えた。戦車から黒い砲弾が次々に飛んできた。重い砲撃音が山々にこだました。

シェイラが煙幕爆弾を投下した。地面から、黒い入道雲のような巨大な煙の山が、盛り上がった。あたりは濃い煙に包まれ、日没後のように薄暗くなった。ロッドは、煙の山の上へヘリコプターを上昇させた。シェイラが、2個のナパーム爆弾を煙の中へ投下した。紅蓮の炎が、煙の壁を突き破って吹き出た。

砲撃が止んだ。

濃い煙が山肌へ拡散した。煙は薄くなった。

* * * * * * * *

「ロッド、右へ飛んで」と、シェイラが叫んだ。「やつらが逃げていく」

木々の間を走っている、数人の人影があった。シェイラは機関銃のレバーを握ると、銃撃を開始した。銃弾は、男たちの上に豪雨のように降り注いだ。男たちのからだが、激しい衝撃によって跳び上がった。からだは、まるで嵐の中の木の葉のように回転した。弾丸は、地面に倒れた男たちにも容赦なく繰り返し撃ち込まれた。シェイラは、機関銃の弾倉が空になるまで撃ち続けた。

* * * * * * * *

二人は地上を注意深く観察したが、もはや動く者の姿はなかった。ロッドは、基地の上空で、ヘリコプターをしばらく舞わせ続けた。それから着地させ、ロッドとシェイラは地面に降り立った。

森に囲まれた空き地で、3機のヘリコプターと2棟の建物、それに戦車が、暗赤色の炎に包まれ燃えていた。炎の先端から、黒い煙が柱になって立ち昇っていた。ヘリコプターのまわりに散らばった死体のいくつかも、燃えていた。炎は小さくなっていたが、炎から伝わってくる熱で、二人のからだが熱くなった。

二人は油断なく銃を構えたまま、周囲を歩き回った。動く者の気配はなかった。

「あの建物の中を調べよう」と、損傷のない建物を指差して、ロッドがシェイラに言った。「おれは表へ回る。きみは後のドアーから入って」

二人は、建物の窓に人の気配がないことを確認しながら、それに近づいた。シェイラは、両手でショットガンを握りなおすと、ドアーを開ける間もなく、建物の中へすばやく滑り込んだ。それを見届けてから、ロッドも建物の中へ走り込んだ。

最初の部屋の中は乱れていて、何がどこにあるのかを、ロッドは簡単には見極めることができなかった。薄暗い部屋に人間はいなかった。今は、無人であることを確認できれば十分だ。

ロッドは次の部屋へ入った。キャビネットが所狭しと立っていた。シェイラが反対側のドアーのところに現われ、ロッドにほほ笑みかけた。あたりは薄暗かったが、彼女のほほ笑みは、スポットライトが当たっているように、明瞭に見えた。彼女は手前のキャビネットを開け、中をのぞき込んだ。

ロッドの横にある二つのキャビネットの間にも、薄闇が横たわっていた。その闇が動いたように思われた。薄闇の中に人の気配を感じた。黙ったまま、ロッドは二つのキャビネットの間へしのび寄った。

一人の男が、雑然と盛り上がった毛布の中に横たわっていた。その男は、薄闇の中でも明らかに病人と分かった。男はロッドを認めた。弱々しく上体を上げると、手のひらを広いた。手の中に何も持っていないことを示してから、両腕を頭の上に乗せた。

「シェイラ!」と、ロッドが叫んだ。「こっちへ来て」

シェイラは、キャビネットの間をのぞき込む間もなく、ショットガンを男に向けた。一瞬の沈黙があってから、男がうめき声をしぼり出した。
「シェイラじゃないか。おれだ。殺さないでくれ。お前の面倒をみてやったじゃないか。トムだよ。憶えているだろう」

「何を言ってるの。ブタは地獄へ行くのよ! 」と、男の言葉が終わる前にシェイラが叫んだ。彼女の声が部屋に反響した。

言い終えるよりも早く、彼女はショットガンの引き金を引いた。弾丸は、男のからだがまるで粘土でできているかのように、鈍い音をたてて男のからだの中へ沈み込んだ。悪臭が、半分腐ったからだから広がった。

* * * * * * * *

他の建物には誰もいなかった。建物の二つは倉庫として使われていた。二人は、十分な食べ物と日用の必需品を手に入れたのだ。

捜索を終えたとき、あたりの火は既に消えていた。ロッドとシェイラは空き地の中央に立った。緊張がほぐれて、二人は疲労を感じた。

青いもやを通して、山並みに縁取られた、明るい青空が見えた。陽光は強くはなかったが、さんさんと降り注いでいた。木々が微風に揺すぶられ、かすかに鳴っていた。それが、聞こえる唯一の音だった。森林の向こうに見える、湖面が輝いている湖から、冷たい風が吹いてきた。ひんやりとした風が、ほてったからだに心地良かった。

シェイラが銃を地面に投げ捨てた。銃は柔らかい地面に落ちて、音もなく転がった。彼女はロッドに身をすり寄せた。ロッドも銃を捨てた。彼は、空いた両腕で彼女を抱いた。薄い服を通して触れてくる彼女のからだは、とても柔らかく、そして温かった。

シェイラがここにいてくれるのは、幸せ以外の何物でもなかった。シェイラは、彼のために残された唯一の女なのだ。

シェイラがロッドを見上げた。ロッドが今まで見たこともないほどに、彼女の瞳はうるんでいた。穏やかな光をたたえたその瞳の奥に、深い情愛の存在を感じさせた。

「静かね」と、シェイラがささやいた。
彼女の声は穏やかだった。かすかな赤みが両の頬にさした。

「そう、静かだね」と、ロッドが答えた。

「平穏が戻ったんだわ」と、シェイラが言った。

彼女は、両腕に力を込めてロッドを抱きしめた。シェイラのからだが密着し、何も着ていないように、ロッドは彼女の肌を熱く感じた。

「私たちは生きているのね」と、彼女が言った。

「生き続けられるんだ」と、永遠に生きることを、今までずっと考えていたかのように、ロッドは静かに答えた。

「そうよね」と言って、シェイラがロッドの瞳をのぞき込んだ。一瞬の沈黙があった。

「ロッド」と、シェイラがささやいた。

「うん」

彼女は、頭をロッドの胸につけた。そして、一呼吸を置いてから言った。
「ロッド。赤ちゃんが産んでほしいと言っている。赤ちゃんが、私の胸へ信号を送っているのよ。今、とてもはっきりとそれを感じることができるわ。まるでドラムみたい」

彼女は、顔を上げると、ロッドの目をしっかりと見つめて早口に言いきった。
「赤ちゃんを産むわ」

『シェイラ、かわいそうな女だ』と、ロッドは反射的に考えた。『それは狩猟警察官の子供じゃないか。それはそれでいいとしても、おれたちはそんなに長くは生きられない。おれたちの健康はひどく蝕まれている。さらに、北半球から広がっている放射性物質は、まだ空気や水の中で増えている。2~3カ月以内に、白血病で死んでしまうだろう。きみのお腹の中の子は、放射能の影響で、どうなっているのか知れたものじゃない』

けれども、ロッドは思っていることを言わなかった。そんなことを、今彼女に話す必要はない。これからも話す必要はない。彼女に残されたたった一つの生きる意味を、誰も否定することはできない。二人に残された命は本当に短いのだ。

* * * * * * * *

デラの気持ちを支え、生き延びる意欲を産み出させた希望は、シェイラと同じものだったことを、ロッドは突然に悟った。希望・・・それは、人に呼吸をさせ、命を維持させる大事な源になる。デラが持っていた生きる希望を、彼は否定してしまったのだ。

苦いものが口の中へ湧き出てきた。ロッドでさえも、そのような希望を必要とした。シェイラ・・・今や彼の命に意味を与えるものは、彼女だけだった。

「シェイラ、きみは赤ちゃんを持てるよ」と、ロッドは静かに言った。

シェイラは顔をロッドの胸に押し当てた。彼女の栗色の髪の一本一本が、ロッドの目の前で揺れた。彼女の盛り上がった髪を通して、遠くの山々と空がぼんやりと見えた。

この場所から、世界は本当に平和に見えた。誰が、地球上の全てを被った、混乱と死の影を想像できるだろうか?しかしながら、ぼろぼろになった地球が腐肉の悪臭で包まれているのは、事実なのだ。

地獄が、ユーラシア大陸に、南北アメリカ大陸に、アフリカ大陸に、そしてオーストラリア大陸に存在している。地球上のどこにでも存在している。ロッドとシェイラは、ほぼ間違いなく、最後まで生き残った人間のうちの二人なのだ。あの汚れきったカモメのように死んでいく、最後の人類である可能性さえも否定はできない。

二人が属する種であるホモ・サピエンスは、生命の35億年の進化のあとに創り出された。何という長い時間なのだ!人はそのような進化を、一瞬のうちに無に帰せしめた。一瞬のうちに。70億人からゼロへ。フェニックス・プロジェクトの墓石だけが、人類がかつて地球上に存在したことを示す証しとして、残される。人類のような高等生物は、一度絶滅すれば、二度と再び地球上に現われることはないだろう。

* * * * * * * *

ロッドは、自分の意志とは無関係に、下腹の筋肉がひきつるのを感じた。彼は、押さえようもなくくすくすと笑ってしまった。シェイラが不思議そうにロッドを見上げた。

「どうしたの?」と、彼女がたずねた。

「神は、人類が絶滅したあとも、生き残れるのだろうか?」と、ロッドが言った。「神は、人間の精神の中だけに存在した。神は、人を離れては存在しなかった。実体としては神はいなかった。戦争の間中、誰もが神に一生懸命に祈ったけれども、奇蹟が起こることはなかった」

「私には、神様に何かをお願いする必要はないわ」と、シェイラがロッドを見つめながら言った。「神様がいてもいなくても、どちらでも同じことよ。あなたとここで生きて、赤ちゃんが産まれるのを待っているだけで、十分なの。それで満足なのよ。他に何も望むものなんてないわ」

「そう。おれもだよ、シェイラ。何も欲しいものはない。きみが一緒にいる。それ以外に何が必要だろうか?」

ロッドが言ったことは本当だった。そのとき、核戦争の前、いや核戦争のあとにも欲していたような事柄に対して、本当に何の未練も感じなくなっていた。シェイラを見つめている間に、誰もが持っているような欲望、怒り、後悔、そして悲しみの最後の一滴まで、どこかへ行ってしまった。シェイラと同じように、心配するものは、何もなくなっていた。死でさえも、心配するようなことではない。

彼は、何か最も原始的な存在といってもいいくらいに、純粋な存在になっていた。ロッドの想像力は、二人が置かれた状況に符号するような存在を、想い描かせた。彼はシェイラを笑わせたかった。そこでわざとらしく言った。
「おれときみはアダムとイヴだ。最初のではなく、最後のだけれども。 ここはエデンの園。けれども、リンゴの木がなくて残念だ」

シェイラは、彼女を笑わせようとする、ロッドの気持ちに合わせるように笑った。そして、ロッドに冗談を返した。
「私は、リンゴがとっても好きだったのよ。私たちは、リンゴの実をとっくに食べてしまったアダムとイヴだわ」

リンゴをもう食べてしまったアダムとイヴ!

ロッドは腹の底から笑った。人は、そんなにも長い間本当に笑うことがなくても、それでもまだ笑うことができるのを、ロッドはシェイラから学んだ。彼はシェイラに感謝した。かわいい女、シェイラ。ロッドは、残された日々を一緒に楽しく過ごせると思った。

笑いながら、ロッドはシェイラを胸に固く抱き締めた。

小説 2012/1/31
この小説は、取り合えずここで完結します。けれども、作者の頭の中では、この小説はまだ続いているのです。この先に、ファンタジーのレベルが一段と上がった物語が、あります。
いずれそのうちに続きを書きたいのですが、それがいつになるのかは分かりません。書く場合は、舞台を日本にして、最初から全てを書き直すことになると思います。

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