「ム、ム、ム、ム、ム、ム」と、ノエがうなった。映写室は薄暗かったが、顔が赤くなったり青くなったり、派手に変色するのが誰にでも見えたはずだ。もっとも、他のトボロク星の連邦政府行政官たちも、ノエと同じようにショックを受けていたので、他人のことをかまっていられる状態ではなかった。
ノエのからだ中から吹き出た黄色い汗が、凹凸の少ない皮膚面を滝のように滑り落ちた。丸みを帯びたからだを包む、柔らかい布製のガウンは、大量の汗を吸収できなかった。床に落ちたノエの汗は、他の行政官たちの汗と混じりあった。
視界全体に広がる立体映像スクリーンに、恐ろしい光景が映っていた。冷酷な光を眼に宿した巨大な怪獣が、獰猛きわまりないうなり声を発しながら、街を徹底的に破壊していたのだ。
(トボロク星人は、その怪獣の名前を知らない。親切きわまりない作者である私。読者の皆さんだけにお教えする...その怪獣はゴジラだ)
「ひどい、ひどい、ひどい。なんて凶暴なんだ」と、いつも紳士的で落ち着いているはずのヌートロが、思わず叫んでしまった。その声は甲高く、上ずっていた。スクリーンを見つめているトボロク星の他の行政官たちも、もはや耐え切れなかった。ヌートロに同調するように、全員がうめき声を発した。
ゴジラ以外にも、異様な怪獣が次々に登場した。恐怖が極致に達すると、からだは金縛りにあってしまう。声を出すこともできない。もはや、うめき声を発する行政官は一人もいなかった。静まり返った部屋に、怪獣の雄たけびと破壊音だけが、地響きのように響き渡った。
映写が終わり部屋が明るくなっても、虚脱状態のまま、全員が沈黙していた。少し経ってから、最初にうなり声を上げたノエが言葉を発した。言動がいつも最初になることをいとわない、チャレンジングな男だ。
「あそこは、宇宙の中でも最悪の危険星域だ。黒光りのするグロテスクな怪獣がいましたね。見た途端に、鳥肌が立ってしまいました。耳まで裂けた口を開いて、哺乳動物を残忍なやり方で殺していた。思い出すのもおぞましい」
今にも失神しそうに真っ青なノエ。なんとか残った、最後の勇気を振り絞るような声を聞いて、他の行政官たちも、堰を切ったように次々と発言した。
「飛び跳ねる怪獣で、かまのような腕を使って、哺乳動物を八つ裂きにするものがいました。辺りは血だらけになっていた」
「何にでも形を変える、得体の知れない軟体動物もいた。餌食の体内へ入り込むようなことまでやっていた」
「乗組員を発狂させて宇宙船を乗っ取ったり、吐き出す炎で哺乳動物を焼き尽くす怪物もいた」
皆の発言を聞いている間に、やや落ち着きを取り戻したヌートロの細面の顔で、丸い両眼が黒く輝いた。冷静な観察者という評価を受けているヌートロが、自分の分析を述べた。
「今まで、無人探査体を宇宙のあちらこちらへ飛ばしたが、こんなにひどい映像が送られてくることはなかった」
ヌートロは一息ついた。それから一気に話した。
「ソルA892星の周囲を、8個の惑星が回っています。探査体は、第3惑星の近傍から、今見た映像を送ってきました。第3惑星と、その周辺の宇宙空間に住んでいるのは、獰猛な怪獣だけではありません。第3惑星には、明らかに大変な数の高等哺乳動物が住んでいます。私たちと同じ哺乳動物だが、映像を注意深く見ると、彼らはとても残忍な高等動物であることが、分かります。周囲にいる仲間を、意味もなく手あたり次第に殺戮している。銃を使った射殺は、日常的に行われている。ただ殺すだけではなく、拷問までやっています。仲間が苦しむのを見て、楽しんでいるのです。核爆弾を使って大量殺りくをやるのも、平気です。何十万人を一気に焼き殺しています」
ヌートロは一息つくと、吐き捨てるように言った。
「おぞましい奴らだ」
温厚なトボロク星人が、嫌悪の感情をむき出しにすることは、滅多にない。特に、冷静なヌートロが、ここまで感情的になることは、今までになかった。
ヌートロの言葉に相槌を打つ者が大勢いた。行政官たちは、ソルA892星系から送られてきた映像を見て、自分が感じ判断したことを、恐怖と非難の感情を交えながら話し続けた。
トボロク星は、トボロク星人がソルA892星と呼んでいる私たちの太陽から、1600光年の距離のところにある。トボロク星人は、争いのない、平和でゆったりとした生活を楽しんでいる。寿命は長く、2000才まで生きられる。
現在の高度な文明を築くまでに、長い長い時間がかかった。最後に手に入れたとても平和な文明。ただし、昔も今もトボロク星人の好奇心は強い。安逸な生活に浸って、周囲で起っている事象に無関心になることは、決してなかった。
銀河系内の生命体を観察するために、スペースワープ探査体を作り、宇宙のあちらこちらへ送り込んでいる。高次元空間を通って跳躍する、スペースワープ探査体。他の星の近くに出現すると、その星域の知的生命体が出している電波を集め、トボロク星へ送った。トボロク星人は、こうやって、他の星のいろいろな生物の活動を、毎日観察していたのだ。
トボロク星人自からが、他の星へ出向かないとしても、その気になれば、自分たちが作ったロボットを他の星へ送り込んで、異星人とコンタクトすることができた。けれども、穏やかな平和愛好家であるトボロク星人には、そんなやり方は似合わないのだ。知的生命体を含む、他の生物の生活に多少なりとも干渉すれば、その生物の社会に、間違いなく混乱を引き起こす。じっと観察するだけにしておいたほうがいい。それが、この宇宙に存在する他の生物の平和を脅かさないやり方だと、信じていた。
それまでに他の星域へ送り込んだ探査体は、どの星にも平和な生物が住んでいることを示していた。仲間内のいざこざがあったとしても、どちらか一方が逃げ出せば、もう一方は追いかけることもしない。
そんなトボロク星人だ。ソルA892星へ飛ばした探査体が送ってきた映像を見て、当然のことながら激しい衝撃を受けた。
多種多様な生物が、その星域と周囲の宇宙空間に満ちあふれていて、互いに残忍な殺しあいをやっている。第3惑星が発した電波は、テレビの怪獣・SF・ホラー・アクション映画チャンネルの電波だったが、行政官たちはそんなことを知る由もなかった。それらの映画は、ソルA892星域に、想像を絶するほど狂暴な生物たちが住んでいると、行政官たちに信じ込ませてしまった。
最初のショックを乗り越えた行政官たちは、次に、このように残酷な映像を公開してもいいのかという、議論に移った。
「初めてのことになるが」と、まだ顔を充血させたままのノエが言った。「この映像は公開すべきではありません。全トボロク星人に恐怖を与えることによって、穏やかな精神生活をかき乱すことになります。体調不良の市民は、ショック死するかもしれない」
ヌートロの肌は、生まれつきのピンク色になっていた。落ち着きを取り戻したヌートロは、静かに反論を述べた。
「私たちの民主主義は、困難な長い歴史の過程で築かれた、完璧なものです。全ての情報を共有するトボロク星人は、日常生活において疑心暗鬼におちいることはなく、心穏やかな日々を送っています。検閲で情報を隠すことは、私たちの伝統ばかりか、文明をもを否定することになり、社会を破壊することにつながります。映像がどれほど残酷でも、完全に公開することが、私たち行政官に課せられた大事な任務と、私は考えます」
他の行政官たちは一瞬沈黙した。それから皆が、ヌートロの意見に賛成の意思表示をした。誇り高いトボロク星人としては、当然のことだった。
間もなく、全トボロク星人がこの映像を見る機会を得た。トボロク星人の想像を絶する残忍な映像だ。予想通りに、ショックがトボロク星人の社会を襲った。
安穏な生活に慣れたトボロク星人の中にも、冷徹な悲観論者はいる。どのような少数意見でも、皆が瞬時に共有できるようになるグローバルメディアが、生活のあらゆる場に張りめぐらされていた。そのメディアを通して、悲観的な予想のショックウエーブが、人々の間に走った。恐ろしい予感がトボロク星全体に広がるまでに、時間はかからなかった。
あの危険星域に住んでいる残酷な生物の多くが、既に高度の宇宙飛行技術を持っている。第3惑星の哺乳動物も、その技術を急速に発達させている。1600光年離れているとはいっても、トボロク星の周辺まで、宇宙飛行ができるようになるのは、それほど遠い未来とは思えない。その予想は、210年後に現実のものになるという、未来予測研究所の研究結果によって支持された。
こんなに攻撃的で残忍な生物が侵略してきたならば、トボロク星人などはひとたまりもない。
210年後といえば、今産まれた子供たちが成人にも達していない、近未来だ。何か対策を立てなければ、トボロク星人の未来が危ない。行政官たちに、有効な政策を立案することを求める、猛烈な圧力がかかった。イージーゴーイングなトボロク星人が、他の誰かに猛烈な圧力をかけるなどということは、今までにはなかったことだ。人々はそこまで追い詰められてしまった。
93年後の選挙の心配もあって、誰よりも追い詰められた行政官たちは、緊急議会を開いた。
「未来予測研究所の報告によると」と、ざわめく議場を制するように、最初の発言者のノエが声高に切り出した。「あの第3惑星の哺乳動物と他の怪獣たちが、トボロク星の付近にまで進出できる技術を獲得するまでに、210年とかからないのです」
誰もが知っている情報だったが、行政官たちは今更のようにうめき声をもらした。最大の危機がすぐそこまで迫っているのだから、情報が古いとか新しいとか、いっていられる状況ではなかったのだ。
「皆さん、どうしますか?」と言って、ノエは意味ありげに言葉を切ると、議場を見渡した。「この危機を乗り越えるために、私たちは、究極の選択をしなければならないのではありませんか?」
「究極の選択とはなんですか?」と、一呼吸置いてから、数人の行政官が一斉にたずねた。
「.....」
ノエは沈黙したまま、皆の顔を見つめた。ノエを見つめ返す青ざめた顔、顔、顔。行政官たちは、自分が口火を切ることだけは絶対に避けたい、恐ろしい言葉がノエの口から出ることを予期しながら、答を待った。
ノエの顔が一瞬紅潮した。彼は、聞くも恐ろしい言葉を一気に言った。
「あの残忍な生物たちが住んでいる星域を、完璧に破壊するのです」
行政官たちの間に、声にはならない悲鳴が走った。
他の生物を抹殺する.....そんなことを、トボロク星人は今までに実行しなかったばかりか、考えたこともなかったのだ。
「空間崩壊爆弾をワープさせて、あの星域へ送り込み、邪悪な意思を持った生物が住んでいる惑星を、全て破壊するのです」と、だめ押しをするようにノエが叫んだ。
議場は完全に静まり返った。最前列に坐っていたヌートロが、それが彼に課せられた人生最大の責務であるかのように、ゆっくりと立ち上がった。彼は、壇上のノエを見据えながら、自分の感情を押し殺した低い声で話し始めた。
「ノエ議員、本気ですか?そんなことをすると、私たちもあのおぞましい生物たちと同じになってしまう。残忍な生物を私たちの手で絶滅させると、残忍な生物と同じになった私たちだけが、この宇宙に生き残るという、矛盾した結果になってしまうのではありませんか?」
誰かが、小さい声で「そうだ、そうだ」と言った。
「それでは、あの残忍な生物たちが、私たちを絶滅するまで黙って待っていろと、あなたは言うのか?」と、ノエが大きく吠えた。
「もっと違う対策を考える努力を、してみようではありませんか?」と、ヌートロが心の中の動揺を抑え、自分の感情を外に出すことなく、語気を強めて言った。彼が、このように語気を強めることは今までになかったので、それは逆に、動揺していることを示すことになった。
「どんな対策ですか?」と、ノエは即座かつ単刀直入に尋ねた。
「最長老のドンバ老に聞いてみようではありませんか?」と、ヌートロが咄嗟の機転で、直答を避けながら言った。
「ドンバ老に尋ねるようなことではないけれども、そんなに言うのならば、一度だけ聞いてみてもいいかもしれません」と、ノエが、自分の自信に揺るぎはないという響きを言葉に込めて、言い放った。
トボロク連邦政府議会が、ここまで互いに礼を失した議論をすることは、今までになかったが、何しろトボロク星人の存亡がかかった問題だ。歴史上初めての激しいやり取りに、違和感を感じる行政官はいなかった。
そして、行政官代表がドンバ老を訪問するという結論が、全員一致で導かれた。
巷では、ドンバ老の年齢は4831才ということになっていた。しかし、老自身が、自分の年齢を述べたことはなかった。それで、本当のところ、誰も正確な年齢を知らなかった。緑深い山奥の洞窟で、毎日考えごとをしているのか、居眠りをしているのか、他人には知る由もない生活を送っていたのだから、無理もない。
ドンバ老は、その日も薄暗い洞窟の奥に坐っていた。行政官代表の数は15人だったが、洞窟は2列で何とか坐れる幅しかなかった。最前列の4~5人しか老の表情を認められなかった。その最前列の数人の中には、当然のことながらヌートロがいた。ヌートロが質問することを任せられたのだ。
ヌートロが、今までの成り行きを、全ての感情を押し殺しながら、ドンバ老に話した。ドンバ老は、目を閉じたままでじっと聞いていた。たとえ辺りに陽光があふれていたとしても、老の表情の変化は、誰にも認められなかっただろう。ドンバ老は、まるで日常の些細なできごとを聞いているように、表情も変えずに落ち着き払っていたのだ。老は、ヌートロが自分の思いを全て話し終えるまで、一言も発せずにいた。
ヌートロの話が終わった。ヌートロは、ドンバ老の顔を直視しながら、全ての感情を押し殺した声で静かに言った。
「私たちは、このような究極の危機を経験することになります。老にご助言をお願いする以外に、今のところ、私たちにできることはありません。海よりも深く山よりも高い叡智をお持ちの老、ぜひお考えをお聞かせください」
ドンバ老がゆっくりと目を開いた。黒い瞳は、遥か彼方に焦点を合わせているように、限りなく深く見えた。話し始めた声は静かだったが、誰をも説得してしまう重みを持っていた。
「これは、私のひいおじいさんが、そのまたひいおじいさんから聞いたという話だ。そのひいおじいさんも、更に前のひいおじいさんから聞いたのだろう。年寄りが子供に聞かせる、おとぎ話と思ってもらってもいい」
行政官たちが見つめるドンバ老の瞳は、更に遠くに焦点を合わせるまなざしになった。行政官たちはしんと静まり返って、老の次の言葉を待った。洞窟の外で風に揺れる草木の音だけが、辺りに満ちた。
「今から何百万年も前のことだ。私たちの遠い先祖は、今ヌートロが話した異星人と同じように、とても攻撃的だったそうな。その頃、私たちの先祖は、宇宙空間へ飛び出すことができる宇宙船を、作れるようになったのだよ。けれども、宇宙空間へ出て行って、この惑星上の争いを、広大な宇宙空間へ拡大することになってしまった。宇宙のあちらこちらで争いを続けたそうだ。その頃は、隣のモレウ星人も残忍な性格を持っていた。宇宙へ進出したモレウ星人と遭遇すると、お互いに殺戮を繰り返すことになった」
ドンバ老は、沈黙している行政官たちへ、突然視線を移した。老は一人ひとりの顔を注視した。行政官を見つめる老の瞳には、生身の人間とは思えないほど、穏やかな光が宿っていた。老は言葉をゆっくりと続けた。
「ところが、ある日突然、瞬間的に、トボロク星人もモレウ星人も、争いを好まない穏やかな性格の持ち主になってしまったのだ。それは、天地が逆転するほどの大きな変化だったといえる。その日に何が起ったのだろうか?言い伝えによると、この星域全体に異変が起きたそうだ。トボロク星やモレウ星を含むこの星域全体が、ピンク色の光に包まれたのだ」
ドンバ老は一瞬口を閉ざしたが、老の視線の先で、何かを発言をしようとする者はいなかった。発言どころか、呼吸をする者もいなかった。
「星域全体を包んだこのピンク色の光、それは一体何だったのだろうか?光の正体を解明することは、誰にもできなかったのだ。攻撃的な性格を形成する遺伝子群を変えて、穏やかな性格にしてしまう、物質転換放射光だったのかもしれないね。では、どこからそんな光がやってきたのだろうか?何者が、そんな光をこの星域へ放射したのだろうか?」
ドンバ老の静かな声を聞いているうちに、洞窟へ到着したときに高ぶっていた皆の気持が、次第に落ち着いてきた。行政官の一人ひとりが、トボロク星人が本来持っている深い洞察力を使って、思いを遠くへ近くへと馳せ巡らせた。そして、大宇宙の中で働いている摂理と、そこで今果たさなければならないトボロク星人の役割を、次第に理解し始めたのだ。