Story 20

3つのショート・ユーモア

button 写真撮影余話

その年の冬は長かった。気温が低いばかりではなく、曇天の日が続き、サクラの開花が遅れてしまった。それでも、季節は変わる。

2~3日間、抜けるような青空が頭上に広がり、暑がりの人は、日中ならば、半そでのシャツで過ごせるようになった。気持ちが高揚したのは、人間ばかりではなかった。サクラがいっせいに開花した。

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花の森公園は、遅い花見を楽しむ人たちで、ごった返していた。

純白の花をつけた枝が、地面にまで垂れ下がったところで、幼稚園児らしい男の子の写真を撮ろうとしている、若い親がいた。デジカメを構えた父の前で、子供を真横に引きつけた若い母が、満面の作り笑い。ところが、男の子は、しゃちこばった写真撮影がいやらしく、むずがった。

どうしても子供の笑顔が必要な父が、大声でどなった。
「1たす0は?」

子供は算数が得意らしく、父の誘いにすぐに乗った。
「10!」

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風が吹いて、花吹雪が舞い始めた。広い中央広場の空気が白くなった。

広場の中心で、酒気を帯びた若い人たちが、愉快そうにはしゃいでいた。その隣の青いシートに坐った熟年夫婦。夫が妻の写真を撮ろうとしたが、真面目一徹の生活をおくってきた妻に、ニッコリと笑ってVサインを出すことは難しい。

その日は妻の誕生日だった。アイディアがひらめいたという顔つきになった夫が、妻に質問をした。
「60たす2は?」

妻はちょっと考えた。そして、周囲の若者たちを見てから、人生最大のチャレンジとでもいうように、答えた。
「8」

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日本人の花見風景に興味を持った外国人のカップルが、花見の馬鹿騒ぎを背景に、自分たちの写真を撮ろうとした。近くのシートに坐っていた若い男性に、シャッターを押すことを頼んだ。

女性もいる仲間の前で、少しカッコをつけたかったその若い男は、撮影係を引き受けた。その義務を果たすために、わずかしか知らない英語をなんとかしぼり出した。
「スリー・プラス・ナインは?」

日本での生活が1年になり、日本語が少しは分かるようになった、そのカップルが同時に答えた。
「サンキュー」

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別のサクラの木の前では、愛犬と一緒の写真を撮ろうと、夫婦が苦労していた。こんな日には、イヌだって気持ちが高揚する。イヌと妻のツー・ショットを、値段の高そうな一眼レフに収めたい夫の前で、イヌはクルクル回ったり後を向いたり。

いらいらした夫が、芝生の上のランチでふくらんだバッグから、チェダー・チーズを一つ取り出した。そのチーズを、イヌがよく見えるように振り回しながら叫んだ。
「チーズ!」

イヌは几帳面に反応した。
「ワン」

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明るい自然と陽気な人たち。そんな風景の中に、場違いな空気が流れた。

広場から少し離れた木陰に、3人のグループが突然に現れたのだ。1メートル以内には近づこうとしない、中年の夫婦の周囲に、冷えた暗い空気が漂った。その夫婦の前に、ジャバラが前へ突き出た、古色蒼然としたカメラを構えている、年齢不詳の男がいた。

色が浅黒く、つり上がった目ととがった耳を持つ男。その周囲の空気は、夫婦の周囲の空気よりももっと冷えていた。暗く、重かった。

シャッター・チャンスをうかがう男が、耳まで裂けた口を大きく開いて、夫婦に質問を発した。
「夫たす妻は?」

夫婦には一瞬のちゅうちょがあった。それから、同時に答えた。
「けんか」

撮影係の男にはその答が不満らしく、ドスの聞いた低い声で質問を繰り返した。
「夫かける妻は?」

夫婦の声は、消え入るようにかすかだった。
「殺し・・・・あい」

button ギネス記録

食事が、満足に取れないほどの毎日の激務。仕事に疲れきった細川が、ある日突然に気づいた。明日になるか、明後日になるかは分からないが、このままでは、近いうちにあの世へ旅立ってしまう、と。

体重が、1年で65キロから39キロに減ってしまった。骨と皮膚の間に肉があるとは思えないほどに、やせてしまった。

死んでしまえば、もう仕事は続けられなくなる。仕事を今後も続けるために、10日間の休みを取って体力を回復し、生き続けたほうがいいという、今までには考えたことのない結論を出した。そこまで疲労を実感していたことになる。

細川は、思いつめた表情のままで、社長の前に立った。
「社長、休暇をください。今のままでは、いつまで身がもつか、確信を持てません」

細川を重宝がって酷使していた社長も、細川の激やせぶりを見て、さすがに細川に同意した。今死なれてしまっては、社長が一番困るのだ。
「最近は特に忙しかったからな。十分に休養を取って戻ってきてくれたまえ」

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細川は、国内ではなく、カリフォルニアのサン・ディエゴを休養の地として選んだ。日常生活からの完全離脱を考えたのだ。そこまで考えるのは、いかにもまじめな細川らしかった。

水平線まで、全てがくっきりと見える青い太平洋。乾いた新鮮な空気。突き抜けるような青空。メキシコ風の味の深い地元の料理。あちらこちらから流れてくるラテンの音楽。サン・ディエゴを選んだことに間違いはなかった。

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初日から浮かれた細川は、暗くなると、ラテンとイギリスが混じりあったようなパブへ、出かけた。

カウンターの隣の席に、陽気で大柄なアメリカ人が坐った。坐ると、重みでチェアーがギシッと鳴った。

アメリカ人は、にこやかにほほ笑みながら「ハロー」と言った。細川も「ハロー」と応えた。

細川は、英語が得意というわけではなかった。普通の日本人並みに、英会話は苦手だった。ただし、中学・高校でまじめに勉学に励んだおかげで、学校での英語の成績は良かった。そのおかげで、来日した海外の顧客と、筆談を交えながらも、もっとも簡単な意志の疎通くらいはできた。

隣に坐ったアメリカ人が知っていた日本語は、「アリガトウ」、「スシ」、「フジヤマ」くらいだった。細川の英語力が、アメリカ人の日本語力に勝った。そのような状況下にあっても、アメリカ人が「ぼくをニックと呼んで」、細川が「ぼくを太郎と呼んで」と言ったあたりから、互いに打ち解けはじめた。

細川はビールが好きだった。このアメリカ人もビールが好きだった。好みが同じ者どうしだったので、言葉はなかなか通じなかったが、意志はなんとなく通じた。針のように見える日本人と、ビヤ樽のように見えるアメリカ人は、からだの見かけを超えて交友を深めた。

細川が、細いからだに数百ミリのビールを流し込む間に、ニックは、見事にふくらんだ腹へ、数リットルのビールを流し込んだ。飲んだ量の記憶がなくなる頃には、二人の気分は、無限大といってもいいほどに壮大になった。

下の結論へ到達するまでの会話の流れは、アルコールの影響下にあったので、二人には定かではなかった。ただし、結論は鮮明そのものだった。
「日本とアメリカでギネス記録に挑戦しよう」が、それだった。

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ニックは家へ戻ると、彼の酒癖にうるさい妻にまず言い放った。
「日本人と国際的な約束をしたよ。日本とアメリカで、同時にギネス記録に挑戦するんだ。おかげで、おれは、もっともっとビールを飲まなければならなくなった」

妻は、訳の分からないことを言っているニックに、うんざりした。けれども、ニックが余りにも幸せそうに、自信と確信を持って、今まで以上にビールを飲むという宣言をしたので、「離婚」という2文字を頭の片隅に入れたまま、黙って聞いた。

ニックは、肥ったアメリカ人の中でも、特に肥っている知人たちを頭に思い浮かべた。ギネス記録挑戦のために、翌日からその男たちに誘いをかけた。挑戦者に受け入れてもらう条件は、挑戦する日まで、大量のビールを飲み続けるということにした。

まじめな細川は、帰国するとすぐに、やせた知人の中でも、特にやせた人ばかりを集めた。やせた人が多い日本だ。必要な人数を集めるのに、それほどの苦労はしなかった。

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日本とアメリカで、ギネス記録が同時に達成されたのは、それから2ヵ月後だった。

日本では、黄色く塗られたフォルクスワーゲンのビートルの車内に、やせた日本人20人を詰め込むことができた。アメリカでは、赤く塗られた同じビートルの車内が、たった2人の肥ったアメリカ人で一杯になった。

button シャネル No.5

米山は、とてもオープンな性格の持ち主だ。自分の気持ちに従って動き、他人の目は気にしない。そんな米山だからこそ、他人の目を気にしないで、普通の日本人にはできないようなことを、海外でもやってしまう。

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それは、たった5日間のヨーロッパ・パック旅行中のことだった。太陽が一杯のニース海岸で、米山は水着一つになったのだ。当然のことながら、常識的には、海で泳ぐか、ビーチで日光浴をするということになる。

ところが米山は、ビーチの一箇所には留まらず、広い砂浜の散策を始めた。

暑い日だったので、カラフルな水着を着た紳士・淑女が、砂の上に寝そべっていた。皆が皆、細長いひょうたん型の体形というわけではない。くびれのない、太さと長さが同じくらいの太いソーセージ型も、多かった。黒ずんだソーセージの皮にしわが寄っている例も、たくさんあった。

米山の顔は、前方の上方、すなわち青い空に向けられていたが、目は反対の方向へ寄っていた。

砂浜が細くなり、岩が岬のように突き出た箇所があった。そこを回り込んで、岬の反対側のビーチへ出たときに、米山の充血した目が大きく広がった。

そこはヌーデスト・ビーチだった。全裸でも自信のある、若い男女がそこここに寝そべっていた。

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こんなところでも物怖じをしないのが、米山の強みだ。若くからだの凹凸が大きい女性に、真一文字の最接近を試みた。ただし、最接近が不自然にならないように、質問を発した。かなりな知能犯といえる。
「岬を回って驚きました。大きな街のこんな近くに、このようなヌーデスト・ビーチがあるのですね」

米山の英語は下手だったが、魅力的なこの女性に何とか通じたらしい。

女性は、このヌーデスト・ビーチには場違いな日本人男性を見て、意味のありそうないたずらっぽい表情を、浮かべた。間違いなく、米山の下心を見抜いていた。けれども、自分のからだに自信のある女性にとっては、こんな男はお笑いの種にしかならない。彼女は癖のある英語で答えた。
「私はヌードではありませんよ。シャネル No.5を着ています」

意外な答だったが、この答にとっさに理想的な反応をした米山は、確かに日本人離れしている。
「なるほど、そうですか。それでは、次に来るときは、私もシャネル No.5を着てきます」

小説 2012/4/14